(date:2015/08/09 23:13)  多分この先話題になる「ホテルオークラ東京」への、ただの凡人の意見


デザイナーでもない、文化人でもない、有名人でもない、ただの凡人である私に誰も耳を傾けるものなどいないだろう。でも、それでも言いたいことは、ある。


ホテルが好きな私にとって、多分この8月は色々と考えさせられる月になるに違いない。


数年前から噂にはなっていた、ホテルオークラ本館が今年9月から始まる。そのため現在の本館が取り壊される。その発表があったのが去年の2014年5月24日だったろうか。正直、その週末にあるホテルのバーで「本館が建て替えられるのはうすうす分かってはいたが、なにも他のホテルと同じように高層ホテルにするのは。」とクダを巻いたほどだった。実は私は、このホテルに宿泊することを躊躇していた。その理由は2つ。このホテルには「米国大使館」と言う強力な得意先があること。しかしそれ以上に脅威に感じていたのは一人の男の執念とも言えるものを感じさせるのがこのホテルであることだ。


大倉喜七郎、ホテルを好きな者であれば、創業者である彼の名を知っている人も多いことだろう。父親の大倉喜八郎をして巨大な財を成した大倉財閥の跡取りである彼はまあ、悪くいえばいい家のボンボンである。しかし、彼のホテル・書画・スポーツなど文化への貢献は並々ではない。英国ケンブリッジ大学留学中にカーレースで二位となり、その遊びがバレたのか日本へ帰国を余儀なくされた際に、当時まだ物珍しい5台の自動車を持ち帰り自動車輸入会社を始めた彼は、多くのホテルに携わることになる。リゾートなどという言葉がない頃に作られた赤倉観光ホテルは日本にスキーをレジャーとして根付かせるきっかけとなった。日本のゴルフの聖地と言ってもいい川奈ホテルのゴルフコース、当時の土木技術からすれば、ゴルフコースの建設は難しいことと思われる。しかし、このゴルフコースの使用者に静岡県は贅沢税をかけようとすると、大倉は県のゴルフというスポーツ文化への無関心に激怒し、あっさりとゴルフコースを閉鎖してしまうと言う。慌てた県は税金を半額にしたが、当の大倉は「すでに終わったこと」と取り合わず、結局政務次官が県へ叱責することにより収まることとなる。大倉山のジャンプ場に私財を投じ、横山大観を始めとした日本画家をパトロンとし、囲碁の日本棋院を設立する際も多くの支援を行う。まさに文化を守り、文化を作ってきた男であった。

そんな彼が、ホテルという玩具を取り上げられてしまう。終戦、財閥解体と公職追放である。

彼の公職追放が解かれるとすぐに、新しいホテルの建設に着手がかかる。歳を考えると、彼は多分最後の事業と腹をくくったのかもしれない。彼にとって最後にして最大の遊び、それこそが、このホテルオークラではなかったのだろうか。実際に建築予算を大きく上回っても、その建設を止めることはなかったという。そしてホテルが完成して少し後、大倉喜七郎は亡くなる。


そんなホテルだからこそ、このホテルからは執念を感じた。だからこそ、私はそこに立ち入るのでさえ躊躇したのだ。しかし時は待ってくれない。去年の夏、8月に私は宿泊を決意した。

今まで止まったホテルの知識や経験をフル回転させ、ホテルオークラのドアをくぐる。部屋から見える風景は都会のそれとは思えないほど静かであり、プールを楽しむ子供の声が、何か懐かしげな何かを思い出す。
夕食はオーキッドルームで、一人ブッフェを楽しむ。いつものように安い赤ワインを開けると、これもいつものようにソムリエ氏に言う。「よく『ブショネだ!(ワインが傷んでいる)』という人がいるけど、実際そういうことってあるの?」
ソムリエ氏は不敵に笑みを見せながら、一言こう言う。「言わせませんよ。」…私は一本してやられたと思いながらも笑いながら「言うねぇ」と一言。この夜は楽しく食事をいただくことができた。そしてその後のソムリエ氏のアドバイスにより、フォアグラの美味しいいただき方を教わることになった。帰る頃には「なぜ今まで来なかったのか」と言う後悔と「また来るべき」と言う希望が心のなかに湧いてきた。


「save the Okura」
この言葉を見るようになったのは、去年の12月、雑誌「casa brutus」の1月号にトーマス・マイヤー氏やら、ポール・スミス氏やらの意見が載るようになってからだ。やたらデザイナーやら文化人やら、よくは分からないがそういう人たちが声を上げると、それに呼応したかのように意識を高く持とうとしている方々が声を揃えて「この建物を守るべき」と言い出した。

ホテルオークラ自体、古い建築であり、そのためホテルの部屋は古い。ここ最近の人気のホテルの傾向はパークハイアット新宿を中心とした外資のビル上階に面した宿泊特価型のホテルが侵食している。パークハイアットに至ってはデザイナーがこぞって「素晴らしいホテル」と褒めちぎっているのをよく見ている。私にとって、日本のホテルそのものを変えていった「破壊者」は欧米のホテル資本だと思われる。

まあ、それがその古臭いはずの建築を壊すと言い出したと途端「モダン建築」と言い出す。ほとんどの人間がその建築の良さを「ロビー」にしか問うていない。挙句の果てには、新しくビルを建設する大成建設を「文化の破壊者」と揶揄する。元々大成建設は現在のホテルオークラを作っており、更に大倉土木という大倉財閥そのものであるのに。

正直、私にとって「save the Okura」と言うのは単に「僕の好きな建築を壊さないでくれよ」と駄々をこねている子供がわめいているように見える。

ホテルオークラを壊すのに一番悔やんているのは多分、ホテルオークラ自身そのものだろう。しかしそれでもホテルオークラを変えねばならなかった。彼らは、一番この建物の価値を知っている。でも、それ以上に彼らは、ホテルオークラという「人間」「組織」の価値を知っているのだと、私は感じている。だからこそ、前に進むために、彼らに良い経験を与えるために、彼らに仕事をしやすくするために、彼らにお客様へ最高のサービスをさせるために、そして何よりも「彼らを守るため」に敢えて変わろうとしているのだ。例え、それが伝統を壊すということになろうとも、彼らがいることがこのホテルにとっての伝統であり、財産であり、そして彼らこそがホテルオークラでありつづける。
私にとってこのオークラは私のものではない。オークラはオークラ自身のものなのだ。

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ついでにだが、今回の建て替えについて建物の耐久性を問題にしている方がいるが、個人的にはこのホテルの建物は今でもある程度の耐久性はあるのではないかと推測している。ただ
実際、かなり建て替えに反対があったらしい帝国ホテルが建て替えられる直前の旧建築も「雨漏りが酷く、サービスをするのに支障をきたす。」と聞いている。
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ホテルオークラにはたしかに魅力的な部分が数多くある。ホテルの機能を中心に持ちながら、どの部屋からも眺望が見えるようになっている三方に伸びる三ツ矢建築。敢えて高さが規制されているために掘り下げるように作られたためにある5階のロビー階下。テラコッタを一枚一枚はめて作られたなまこ壁と緑青の屋根。居心地のいいロビーを作るために敢えてロビーに見えないように作られたフロントレセプション。重さ制限をクリアするのにわざわざ大島から石を取り寄せて作った屋上庭園。

しかし、私にとってホテルは建物よりも「人」である。その「人」こそが誇りを持ってホテルに働いている以上、そのホテルは失われない。例え建物がなくなっていても「人」が誇りを持って働いている以上、ホテルオークラはなくならない。ホテルオークラの魅力は建物以上にそこにいる「人」なのだ。

だから最低でも、その「人」を困らすことはぜひともやめて欲しい。ホテルマンに建て替えの反対を言い寄る、などという行為はオークラを守るどころか、オークラを貶めるだけの行為であることである。


私はこの月末の土曜にホテルオークラに宿泊する予定である。
しかし、帰る時は「サヨナラ」とは言わない。「じゃあ、今度は別館でよろしくお願いします。」と言うだろう。私にとってのオークラは「これまで」ではなく「これから」なのだ。